小児はりが、生まれ育った背景


小児はりが、生まれ育った背景の一つは乳幼児の死亡率の高さ?
歴史を紐解いていくとそういう疑問に行き当たります。
小児はりが生まれたのは大阪の特に河内と呼ばれる地域。
森田康夫さんの「河内・社会・文化・医療」という本を手にすることが出来ました。

河内―社会・文化・医療 (上方文庫)

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特に発展したのは明治から昭和にかけてです。
社会情勢も明治期の近代化の過程で、労働者や農民の過酷な生活と住環境は、感染の拡大を加速した。
産業革命が始まり〔大正時代〕、大阪は、国を挙げての紡績工場が出来た。

賃金が安くて済む女性と紡績工場の労働力として使われるようになった。
日本の工場労働者総数93万80万人のうち49万人が女性。
6割が繊維工場で働く20才未満。
※新村拓/日本医療史 吉川弘文館

日本医療史

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大阪の都市の周りでは、夫婦者が集まった。※
労働のために女性の体が疲弊し、胎児の環境の悪化などで乳児の死亡率も一層高まったことが資料で見て取れる。※毛利子来/現代日本小児保健史

現代日本小児保健史 (1972年)

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・大阪は乳児の死亡率が、全国一だった。
・大阪では西洋医学が早く入っていたが、地域によっては導入が遅れている。
・医療を受けることの出来ない環境
・お灸や小児はりが根付いていた。
・小児はりが、その地域の健康を支えていたのではないか?
※.森田康夫/河内・社会・文化・医療 和泉書院

資料  ※3  森田康夫/河内・社会・文化・医療

明治中期から後期の同村の平均死亡年齢20.6才。乳幼児は、3人に1人が死亡する。

小児はりが衰退した原因
・核家族化により小児はりに連れて行く機会が減った。または無くなった。
・1961年の国民皆保険により、医療費が針灸より安価に受けられるようになった。
・施術者側がその衰退に気に止めずにそのまま衰退した。
・その理由として大人の患者に移行しても営業に影響が無かった。
・子どもの小児はりと大人の鍼灸は、両立しづらい。
・保護者への小児はりのアピールの仕方が分からなかった。
・少ない小児はりより、大人の鍼灸に移行した
・後継者が育たなかった。

※1736年に発刊された文献「鍼法弁惑」に小児はりの記述が確認されていると言われています(医道の日本社刊行の小児針法  )が確認したところ、その様な事実はありません。
「鍼法弁惑」が藤井流小児鍼の先祖によって編纂されたことから誤解されたものと思われます。
鍼灸史を森ノ宮の横山浩之先生に確認したところ、現在までの誤解は、米山博久氏・森秀太郎氏共著の孫引きで誤って伝わった可能性があります。

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